当館の歴史

現在残っております資料で最も古いものは明治9年の「吉原和助名義の料理営業免許鑑札」です。

営業しておりました場所は高田町田端(現在の仲町3-3-21)で「吉原屋」という料理屋でした。

田端は城下町政策で魚を扱う者のみの町でしたので、あるいは前身は魚屋であったかもしれません。

屋号を「長養館」とし、雁木の町並みでの間口の狭い建物から広い敷地を求めて現在地に移転したのが明治26年のことです。

口伝では寺町への移転は明治25年といわれておりますが、資料では明治26年9月16日の開業祝宴の記録がございます。

明治から戦前にかけて、上越地域のお客様や第13師団の方よりごひいきをいただいて営業しておりましたが、昭和18年には戦争に伴い料理屋営業が停止させられました。

戦時中は日本ステンレスへの学徒動員による柏崎中学の生徒の方の学生寮となりました。

戦後もすぐには営業を再開できず、昭和22年より旅館業の免許も取得して、以後割烹と宿泊の二枚鑑札の営業をおこなってまいりましたが、現在は宿泊営業はお休みをいただいております。

おかげさまで、この間大きな事故や火事もなく創業当時の建物と庭園で営業してまいりましたが、設備などが老朽化しましたので、 平成6年に大規模な模様替えを行いました。骨組や間取りなどはそのままに、冷暖房や建具を更新し、廊下も板から畳に変えました。

この模様替えは現在も少しづつ進行中です。

『おふくさん』の由来

長養館のマスコットとして大切にしております土人形おふくさんは、当館三代目の吉原和助が大正年間に商売繁盛を願って求めてきた「伏見人形」です。
商家によく見られる「福助」の女性版でしょうか?

昭和20年頃までは、店の茶の間に飾られ、朝晩お供え物を供えてまいりました。 「おふくさん」のおかげで、昭和初期の不況・太平洋戦争の激動期を家業安泰で切り抜けてこられたものと代々信じております。

なお、この土人形の作者は「東福亭幸衛門」という人で、本名鵤(いかるが)幸衛門--備前浮田(宇喜多)秀家の重臣・林玄蕃の家来でありましたが、 関が原の合戦で浪人となり、伏見稲荷の傍ら東福寺門前に居を構えて、生計を立てるため土人形を作り、人形屋幸衛門として名を上げました。

したがいまして、この人形は1600年頃作られた420歳程の年齢ということになります。 お手をさせている犬は、狆(ちん)かと思われます。

当館の封筒や名刺などに使用しておりますマークの原型でもあります。
どうか当館共々末永く可愛がって下さいますようお願い申し上げます。